2008年

ーーー6/3ーーー 旅情

 私が長い年月に渡り愛読してきた詩集がある。角川書店の「エーデルワイス・シリーズ 山の詩集」である。たしか高校生だった頃、蓄膿症の手術で入院したときに、親が買ってくれたものだったと思う。だから、もう40年ちかく私の手元に置いてあることになる。

 山とか自然をテーマにした詩が載っているのだが、作者は様々である。日本のものだけでなく、海外の詩を翻訳したものもある。いずれも平明な表現で、親しみ易いものである。また、所どころに写真が挿入されているが、それらが実に良い雰囲気を持っていて、詩集に花を添えている。

 だいぶ前の話になるが、尾崎喜八研究会のイベントに誘われて出掛けた事があった。夕食を兼ねた懇親会の席で、自己紹介を求められた私は、この詩集を引用し、尾崎喜八の「峠」という詩の感想を述べた。すると同席していた写真家の三宅修氏が、「角川の詩集ですね」と言われた。私は話が通じたのが嬉しくて、「あれは良い本ですよね」と返した。家に帰って調べてみたら、三宅氏はその詩集の写真監修をされていた。詩集を手掛けられたご本人に対して、軽い事を言ってしまったことが恥ずかしく、悔やまれた。

 その詩集の中に、嵯峨信之の「旅情」という詩がある。私は初夏から夏にかけての時期になると、ときどきその詩を思い出す。

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「旅情」 嵯峨信之


ぼくにはゆるされないことだった
かりそめの愛でしばしの時をみたすことは
それは椅子を少しそのひとに近づけるだけでいいのに
ほんとうにそんな他愛もないことなのに

二人が越えてきたところにゆるやかな残雪の峰々があった
そこから山かげのしずかな水車小屋の横へ下りてきた
小屋よりも大きな水車が山桜の枝をはじきはじき
時のなかにひそかに何か充実させていた

ぼくたちは大きく廻る水車をいつまでもあきずに見あげた
いわば一つの不安が整然とめぐり実るのを
落ちこんだ自らのなかからまた頂きにのぼりつめるのを

あのひとは爽やかな重さで腰かけている
ぼくは聞くともなく遠い雲雀のさえずりに耳をかたむけている
いつのまにか旅の終りはまた新しい旅の始めだと考えはじめている



ーーー6/10ーーー ラジオ体操

 仕事柄か、生まれつきの体質か、あるいはその両方によるものか、私は腰の不調に悩まされる。ほんの些細な事で腰が痛くなるので、いつも不安を抱えている。腰痛が出ると仕事に差し支えるから、これは私に取って深刻な問題である。

 腰痛の予防に良いと言われる事は、今までにいろいろやってきた。腰痛体操やストレッチング、ぶら下がりなどは、現在でも続けている。それらはそれぞれに、多少なりとも効果があるのだと思う。しかし、腰痛の不安を完全に払拭するほどの切り札とはなっていない。

 この春から新しく始めたのは、毎朝のラジオ体操である。これも腰痛対策の切り札とまではいかないが、思った以上の効果はある、と言うか、かなり気に入った。

 ラジオ体操と言っても、夏休みの子供会のように、ラジオ番組に合わせてやるわけではない。記憶しているメロディーを頭の中で再生し、それに従って体を動かすのである。だから、ラジオの時間を気にする必要は無い。

 会社勤めをしていた頃、工事現場に出張、滞在したことが何度かあった。現場では毎朝全員揃ってラジオ体操をやる。現場事務所の前の広場に集まって、現場監督から管理職、一般社員、下請け工事業者まで、一緒になってマスゲームのような光景を展開する。インドネシアの現場では、現地人たちも面白がって体操に加わっていた。そんな経験があるので、ラジオ体操は私の体にしみ込んでいる。

 そういう会社だったせいもあるかも知れないが、登山のサークルでも、朝歩き出す前にラジオ体操をやったものである。登山口でも、キャンプ場でも、輪になってラジオ体操をする私たちは、周囲の登山者から好奇の眼で見られたりした。そういう気配を感じてか、わざと口に出して、大きな声でメロディーを歌うメンバーもいた。

 ほんの数分の体操であるが、あらためて見直してみると、これはなかなか良くできたものだと思う。体全体を、いちおうまんべんなく動かす。もしこの体操をしなければ、一日のうちで一度も使わないような部分も動かす。しかも、朝一番の、体が固い時でも、無理をして痛めるようなことはない。下手なスレッチングは体を痛めることもあるが、ラジオ体操は程よくマイルドである。最後に深呼吸があるのも良い。深呼吸など、日常生活でやる機会はまず無い。

 ラジオ体操をやるようになって、腰痛の不安から開放されたわけではない。しかし、体を目覚めさせ、活性化する効果は十分にあると思う。それが少しは腰痛の予防に寄与していると思いたい。

 このように小さなことでも、体に気を使い、体に良さそうなことを実践するということが、私のような年齢になった者の、必要から生じるたしなみだと思う。自分の中にそういう変化を発見すると、まんざら悪い気はしない。



ーーー6/17ーーー ハープを作る

 ハープという楽器から連想されるのは、裾を引きずるような白いドレスを着た女性が、優美な手つきで奏でる、天上の音楽、貴族の世界である。おおよその日本人が抱いているイメージは、そんなところであろう。

 ところが、そうとばかりは限らない。ハープにも様々な種類があり、演奏される曲もいろいろである。そういうことを3年ほど前から知るようになった。きっかけはアイルランド音楽である。

 アイルランド音楽で使われるハープの中には、膝に乗せて演奏するほど小さなものがある。クラシックのコンサートで使うハープは高さが180センチくらいあるから、小さなハープは別の種類の楽器という感じがする。
 
 昨年の夏、例の山小屋でハープ演奏家と出会った。私が木工家だということを知ると、その方はしきりにハープ作りを勧めた。持参した小型のアイリッシュ・ハープを見せて、「こういうものです。作れるでしょう」と迫った。私は曖昧な返事で応対した。

 それが頭に残ってはいたが、実行に移せないまま月日が過ぎた。

 一ケ月ほど前に、ある会合の席で、知り合いのチェンバロ製作者と隣り合った。雑談をしているうちにハープ作りの話になった。その方は、「やってみたら面白いでしょう」と言った。そして、とりあえずはキットを購入し、それを踏み台にして構造や寸法を研究するのが良いだろうとのアドバイスをくれた。

 ハープの組み立てキットなるものが売られているのである。

 米国はアイルランド移民が多いせいか、ハープの愛好家が多いそうである。ハープを作る工房も沢山ある。それらの工房の中には、完成品だけでなく組み立てキットを売っているところもある。あるメーカーのサイトを覗いたら、コストをセーブする目的だけでなく、自分が作った楽器を演奏する楽しみを味わう意味でも、キットがお勧めだとの趣旨が書いてあった。

 国内の代理店を通じて、米国製のハープキットを購入した。



 届いた品物を見ると、一見大雑把ではあるが、実質的には問題なく、行き届いた品物のように感じられた。中に入っていた組み立て説明書は英文であった。代理店に問い合わせると、このメーカーのキットは組み立てが難しく、ほとんど売れないので、和訳版を作っていないとのことだった。

 組み立ててみると、確かに素人では難しいと思われる部分もあった。米国では、ハープを演奏するような人に、こういう難しい木工をこなす素養があるのだろうかと、不思議に感じた。

 私の工房の設備、道具を使えば、さしたる困難も無い。一日半で組み上がった。こういうときは、自分が木工家であることの優位を、しみじみと感じるのである。

 一週間かけて塗装をした。家具の場合よりも艶っぽい塗装にした。楽器だから、ある程度の華やかさが必要だと思ったからである。塗装を終えた後、弦を張った。

 私はハープに関しては素人だから、音の善し悪しは分からない。比べる基準を持たないからである。しかし、出来上がった楽器の音色には満足した。演奏方法など知らないから、ただポロンポロンと弦を弾くだけである。それでも、複数の弦を同時に弾くときに発生するハーモニーは、実に美しく響き、心地良かった。

 当初は楽器を作ることにしか関心が無かったのだけれど、出来上がってみると、少しは演奏もしてみたい気持ちになってきた。自分のペースで楽しめる程度になるまで、練習をしてみようかと思う。独学の手段を調べるところから始めなければならないが。





ーーー6/24ーーー 精進にかりたてるもの

 順序が逆のような気もするが、ハープを作ったことで、ハープの演奏の方も練習しようと思い立った。今まで全く手掛けたことが無い楽器だから、これはまさしく「六十の手習い」と言えるだろう。もっとも六十歳までにはまだ五年あるが。

 練習といっても、教えて貰える所もないから、独学である。しかし幸いな事に、知り合いに親切なハーパー(ハープ奏者のこと)がいるので、分からないことを問い合わせることができる。教則本も紹介してもらった。お勧めのCDも教えて貰った。このキュートな「師匠」の存在は、私にとって大きな励みである。

 今までに、いろいろな楽器を手に染めてきた。モノになったものもあれば、挫折したものもある。それでもおしなべて見れば、私は飽きっぽい方ではないと思う。むしろしつこく「細く長く」続けるタイプだと思う。楽器以外でも、そのようなことが言えると思う。もっとも、この春に始めたブラインド・タッチの練習は、1ケ月もたなかったが。

 覚えるのが早い人は、忘れるのも早いと言う。才能に恵まれた人は、簡単にある程度のレベルに達するので、身に付けた物の大切さに気が付かない。それに対して、これといった才能が無い者は、努力を重ねないと成果が上がらない。努力をし、苦労をしたことで身に付けた物は、一生の宝として大切にする。不器用であることは、一つのことに取り組んで長続きをするための、重要な資質かも知れない。私は自分自身を、そのような資質に恵まれた人間だと思う。

 ここへ来て感じるのは、若かった頃と現在との違いである。若い時は、楽器の練習といえば、いや楽器に限らず物事の練習に際しては、安直に上手くなることばかり考えていた。それが上達への最も遠回りの道であることも知らずに、背伸びをして高い物を掴もうとするようなことに明け暮れた。地味な基本練習はすっ飛ばして、見映えの良いパフォーマンスのまねごとをしたものである。

 歳を取って、少しは自分が見えてきたのだと思う。現在の私は、多くを望まなくなった。むしろ、日々の練習の中で、ほんの僅かな進歩を見いだすことに、幸せを感じるようになった。そのような進歩は、地味で単調な基本練習の中に、むしろ発見されることが多い。

 楽器でもスポーツでも、昨日出来なかった事が、今日になったら出来たということがある。そんなに極端ではなくとも、今までずうっと出来なかった事が、気が付いたらいつの間にか出来るようになっていたということもある。そのような「思いがけない進歩」を発見するとき、無意識のうちに変化していく人の体のシステムの不思議さに驚かされる。同時に、自分の肉体を「けなげな奴」と感じたりする。
 
 初めて自転車に乗れるようになったときの感激は、誰しも人生に於いて鮮明に残っている記憶だと思う。そんなに強烈なものでは無くとも、日々の精進の中で見いだされる進歩は、無数にある。その中には、ごく些細な事で、注意深くしていないと見過ごしてしまうこともあるだろう。そこで必要とされる注意深さは、大それた事を望まなくなって初めて身に付くものかも知れない。ともあれ、ほんの小さなことでも、自分の行為が進歩を生んでいると感じたときの喜びが、現在の私を精進に駆り立てるモチベーションとなっている。

 これは全く個人的な喜びである。他人には何の影響も無い。その喜びを語ったとしても、他人は関心すら持たないだろう。打算的に考えれば、無意味と言えることかも知れない。こういうことを「自己満足」と呼んでバカにする輩もいるだろう。しかしこの全く個人的な小さな喜びが、結構大切な事のように思える、昨今の私である。

 






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